39福子の入院生活1

6月 23, 2016

この度、わたくしは20年ぶりに入院し、手術を受けました。

わたくしごとなのでみなさんに伝えるのもどうだろう、とも考えましたが、みなさんに「がんばるわ!」という決意もこめて、ブログやメール、SNS等でお伝えしました。

わたくしのバンドVariaFreezeのドラムぽんちゃんから、「日記をつけるといいよ」とアドバイスがあり、ことこまかくとは言わないまでも、わたしなりの入院生活を記そうと思います。

2016年

6/13

入院当日。

諸手続きを終え病室へ。まずは4人部屋へ。20年前と違うのは、みんなカーテンをしめていること。わたしはしめきりが嫌なので反抗的にカーテンを半分までにしておく。まーしーから借りた本を読破した!

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食事はまだかたちあり。

その夜友だちのむぎちゃんが仕事帰りに寄ってくれ、本を貸してくれた。

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「ピアノの森」という漫画家と、「モテシグサ」の本。写真は以前むぎちゃんからもらったお守り。

その後むぎちゃんの夕食に付き合っていたら、職場仲間から「どこにいる?」の連絡。院内タリーズ前で合流し渡されたものは・・・。

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寄せ書きされた腹帯。はっはー!強力な洗い変え腹帯が!ありがとう!

むぎちゃんはそのあともいてくれて、わたしを癒してくれました。ありがとうむぎちゃん☆

 

6/14

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新病棟が平成30年に建つ。その工事真っ只中。大きなクレーンが鉄骨を確実に持ち上げている。

朝食前にむぎちゃんが持ってきてくれた「ピアノの森」5巻を読破。追加メールをむぎちゃんに送信。

朝食後朝早く仕事していたトーメさんが近くに来てるとのことで来院。まもなく麻酔科の説明だとのことで、いわれた場所に行くと、「まずはこちらで」と言われたのが、タブレットで説明を聞くという。時代の流れを感じた。

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この時はまだ緊張感もなく、いつも通りのやりとりでふたりで会話して。トーメさん、きてくれてありがとうね☆

トーメさんと別れ、麻酔科先生からの説明、シャワー浴、お昼と、それなりのスケジュールをこなす。

14時過ぎ、コブクロ渋滞を回避しようと、両親早めの到着(この日は松本城でコブクロのライブがあり、ホテルチェックインせずそのまま来院)。

父が「買ってきた」と2冊本を渡される。ひとつは今話題の著書「天才」、もうひとつは「蛭子の論語」という、蛭子能収さんなりの論語の解釈本。両極端なイメージの本をニヤリと渡された。「天才」は落ち着いたらにしようと思い、蛭子さんから読み始める。

18時過ぎ、先生ふたりとわたし、両親で、明日の手術に向けての説明。「いよいよか」という感触が身体をつたった。そういえば今日のシャワーで、無意識に、自分の身体をしっかりみつめていた自分を思い出した。

両親がホテルに向かい、わたしは蛭子さんの本を読んでいた。消灯となり眼を閉じ眠ったが、すぐ起きてしまい、その繰り返しで朝を迎えた。

 

6/15

手術当日。とくに緊張感もなく、ベッドの上でゴロゴロ。腹ペコで力が出ないなぁ。なんて思っていると、息を切らし気味の男の先生がやってきて、「急患の方がいらしたのですが手術室が空いていません。手術時間を遅らせてもらってもいいですか?」と。こんな時ダメですなんて言えない。わたしは了承し、先生は走り去った。わたしは両親にその連絡をし、午前中早めからの手術は午後未明へとずれ込んだ。

両親はいったん病院へくるも、「まだよね」とのことで、バスのルートを確認しつつホテル待機となった。わたしは蛭子さんの本を読んだり、空腹に耐えたりを繰り返した。

お昼前、お部屋移動とのことでナースステーション前で待機していると、主治医が駆け寄ってきて、「前の手術が予定より早く終わりましたので、もうすこしで(手術室)入室できます!」と。えーっ!と言いたいところを抑え、慌てて父に電話して来てもらうようお願い。なかなかスリリングねと、逆に落ち着いてしまった。

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部屋が個室となり、間もなく両親が飛んできた。連絡してから20分でくるというファインプレー。間もなく主治医がきて「13時入室します」と。さすがにここまでくると気持ちが込み上げてくる。今までこらえていたものが流れ、両親も気遣ってくれた。

手術着に着替え、歩いて手術室の入り口まで、主治医、看護師、両親とともに。入室前、両親とかたい握手を交わした。手にはいっぱいの「ありがとう」を込め、笑顔で手を振った。そのあと涙をマイメロディのタオルで拭った。

 

そして・・・。

 

入室してから4時間半後。病室へ戻ってきた。

うつらうつらの状況で、両親が「また明日くるね」にもちゃんと返せず。その後も1時間ごとの経過観察で看護師さんたちがずっときていた。患部は24時間麻酔がきいていてぼやっとしてたけど、動きは取れず、発汗の嵐。流し目で窓の外をみて、早く夜が明けないかな、そればかり考えていた。

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